夢占い的には、何かの暗示でもなんでもなくそのまま願望が出てきただけなんだって

「ごめんなさい。携帯が壊れてしまって。すぐに連絡ができなかっただけなの。早く返事しなきゃなと思ってたんだけど、なんて返そうか迷ってたら日にちが経っちゃって。」
「そうだったんだ。」
「で、返事しておくとね。…大丈夫だよ。行きましょう。どこですか?」
「久々に行きたいところだと池袋のかな。新宿のお店で行ったことない所があって、そこでもいいんだけど、ジビエとか苦手そうですよね。」
「ちょっと苦手かも。でも食べたことないから、むしろ行ってみたいかな。」
「じゃあそこにしましょうか。平日と休日だと、どっちが都合いいですか?仕事、結構忙しいですもんね。」
「あ、でも予め言ってくれれば、それくらいは調整するよ。」
「じゃあお休みの日をいただくのも悪いので、平日にしましょう。」
「うん、わかった。じゃあ来週の水曜とかどうかな。」
「僕はいつでも。」
「それじゃあ来週の水曜で。空けとくね。」
「ありがとうございます。楽しみにしてます。」

とても嫌な夢だった。
何故か私はとびきりの気を使って、行きたくもないご飯の約束をしていた。
多分これは、私の夢ではないのだと私は思った。

私の人生は、長い宇宙の中で立ち寄った一瞬に過ぎないと思っている。
私が死ぬと、私の人生そのものが夢のようなものとして認識できる存在”a"に戻るのだと思っている。
私の前世は徳川慶喜かもしれなくて、私は存在”a"に戻ると、徳川慶喜としての人生と今の私の人生を比較衡量できるようになる。
「前に較べると、ずいぶんしょっぱい人生だったな」
と存在”a"の私は思うのだ。

私は素朴に、あの人は存在"b"なのだと思っていた。
けれど、どうしてあの人が存在"b"であると言えるのか、少しわからなくなってきた。
別にあの人のことを気にしているわけではない。間違えてボックスの煙草を持ってきたコンビニの店員でもいい。月に二回だけ一晩を共に過ごす上司でもいい。すなわち、この私ではない人が、それぞれの存在"n"を基底的な存在にしていると、なぜ断言できるのかがわからなくなってしまった。
存在"a"を、私も店員も上司もあの人も基底的存在としている可能性を否定できない。
そうだとすると、あの夢が私の夢でないことも理解できる。
あの夢はあの人の夢である可能性が高かった。

あの夢は、まどろっこしいものだった。執念のようなものと、羞恥、少しばかりの性欲と悲しみ、そして底の方には喜びがあった。
この喜びを、私は理解できなかった。これが私の夢であるならば、ここに喜びはありえない。

間を埋めることを諦めた。考える必要があるとは到底思えなかった。
二日酔いに起因する頭痛を抱えながら、落としていないメイクがベタつく顔をベッド脇の鏡で見た。少しぼやついているが、壁一面に私がいた。
隣の男はまだ寝ていた。呼吸が深く、2秒おきに胸が上がっている。このまま絞め殺してやってもよかったのだが、私がいなくなると今のプロジェクトが止まってしまうので、それは良くないなと思った。

シャワーを浴びようと起き上がった。周囲を見渡したが、携帯は見当たらなかった。ベッドの下に落ちているのかもしれないが、それ以上探さなかった。連絡しなくちゃいけない人なんて、どこにもいなかった。